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   漢字の国語史   

 

 江戸後期から近代において、漢字の廃止が一部の者から論じられた。前島
密「漢字御廃止の議」(一八六六)、南部良寿「修国語論」(一八六九)、西周「洋字ヲ以
テ国字ヲ書スルノ論」(一八七四)などである。他には漢字数の制限を福沢諭吉、簡昜英語
の使用を森有礼が考えたりした。
 このような考えが起こったのは、国家というものが意識され「国語」という標凖語が必用とされ
た時代だからである。現在からみれば、漢字がないということは信じられない。漢字は、日本の
各地に古墳が築造されていたころから使われ始めたものである。その後、様々な変革を経て、
今も生き続けている。

 では、日本人にとって漢字はどう扱われていたのか。
漢字は外来語である。四世紀後半ごろ、朝鮮半島を経由して伝来した中国の文字だ。後
漢の中元二年(五七年)、光武帝が「倭奴国」の使人に印綬をあたえた「漢委奴国王」の金
印が日本における現在最古の漢字とされている。それまで、上代においては文字は使用され
ず、人々は「かたる」ことによって生活してきた。”言霊思想”と呼ばれる時代である。そこへ文
字が入ってきて、記録と編纂の時代になっていく。
 人々は語学意識を高め、万葉仮名が使われるようになる。万葉仮名は、漢字によって書か
れた仮名であり、漢字一語で一音を現わし「万葉集」などでみられる。例えば、

	「安之比奇能」=足引の
	「宇都勢美」 =うつせみ
	「鳥徳」   =おとこ
	「嗚呼見乃浦」=あみの浦
	「苦流思」  =苦し

など、挙げればきりがないけれど、みてみると結構面白い。現在では言葉遊びのように、平仮
名を漢字で表記したりすることもあるから、案外抵抗がないように感じる。
 また、この時代は「古事記」のように表音式なものと、「日本書紀」のようにそのまま漢字で書
くものが並存していた。
 奈良・平安の知識人たちは漢詩をつくり、漢字に対して知識が深かったが、和文を書くときは
音読みの漢字を混ぜていないようである。
 万葉仮名は草仮名へ、さらにくずれて平仮名になる。平安時代、仮名は女性のつかう文字
であり、漢字に比べ下級にみれらていた。当時、漢字は真名といったのに対して、平仮名は仮
り名と呼ばれていた。
 平仮名とは別に片仮名があるが、これは漢字を補助するものであった。漢文を読むときの点
などが片仮名の発生を必要としたのだろう。
 中世時代になり、文章を書く技術が語られる伝承語学の時代となった。鎌倉時代、軍記物
では漢字が和文のなかに含まれてくる。代表的な「太平記」は和漢混淆文である。

 つぎに漢字についての証言を引用する。

  「言葉の意味を歴史的に調べた塲合に、辞書作りの当事者たちとしては、大和言葉と漢
字とでは厄介さの加減が全然違うのです。という意味は大和言葉の意味は、非常に微妙にこ
まかくわかれたり、木の根が張るようにいろいろな用法だとか意味の違いだとかに微妙なもの
があって、ついていくのにこちらがとても骨の折れることが多いのです。ところが漢語の語彙の意
味というのは実に簡単なのです。根が浅いのです。意味の分岐も少ないし、根のつき方が浅
い感じがするのす。一語一語個々に別々ではあるけれど、訳語の区分を三つもつけたらまず
全部がおさまってしまうということが多いのです。ということは、つまり漢字というものは、日本語の
中ではともかく根が浅い、そしてたやすく消えてしまう。そして次に別のものがはいってくる、また消
えていってしまう、という状態になっているという感じがするのです。」
  (大野晋「美意識の発達と日本語」)

 漢字はこのころまでを発祥、受容、浸透の時期にしていて、それは日本列島という範囲内で
の条件付きの発展であった。

 近世になり、漢字は他国文明と出会いその可能性をひろげた。
 江戸時代に宋代の儒学が導入され、学習された。町人には白話小説がひろまった。近世以
降、漢文は教育の重点とされ、学問の語とのように考えられ、正式の文章の文字は漢字であっ
た。そして漢字多用の傾向に進んでいった。

 近世後期から広まった西洋文明は、蘭学によって漢字に翻訳という新しい仕事をあたえた。
幕末まで多くの蘭医学書が翻訳され、杉田玄白の「解体新書」はその最初である。「解体新
書」では、オランダ語を漢字に置き換え、ただの翻訳だけでは語がみつからないので創作してい
た。語だけではなく、字もつくられた。清水卯三郎の「平仮名の説」に「舍密」という語がでてくる
が、これは十八世紀末に音訳で造語されたらしい。十九世紀に入り、中国製の訳語「化学」が
伝わって「舍密」はなくなる。「舍密」から「化学」のように、幕末から明治初期において中国洋学
書の影響が大きかった。
 この頃、漢字の廃止が叫ばれていた。前島密、天野御民は仮名を、南部義寿はローマ字を
使用するべきだとした。西周などは洋字を国字にしようなどと論じた。これは「ホイットニー宛書
簡」の森有礼も同様だった。これらの人達に共通するのは、主張内容の良し悪しは別にして、
「国語」を簡単なものにしていき、広く使われることをめざしたということである。他国では漢字廃
止について、朝鮮・ベトナムがハングルをつかっていたり、中国がローマ字に興味を示したりしてい
るが、日本ではごく一部の意見にすぎなかった。
 
 明治二十年代以降、日本は中国の語を参考にするような立場から、逆に日本語を支配下
の国に広めようとして輸出されるのだが、それは戦争時代が生み出した流れであって、うまくいく
はずもなかった。
 戦後、日本政府は「当用漢字表」など、様々な国語施策を行い、試行錯誤をくり返し、現
在にいたっている。

 日本語は漢字を用い、平仮名、片仮名、そしてローマ字をも併用する複雑さがある。漢字と
仮名などの比率によっていろいろな表現を可能にし、独特の効果を生む。そのような日本での
漢字は、本家の中国とは違った変化を見せ、様々な性格をもって、私逹日本人につかわれて
いる。

 
 

 

参考・引用文献

日本語のこころ 渡部昇一 講談社現代新書

国語要説    鈴木真喜男

        長尾 勇   学芸図書

国文学 解釈と教材の研究 八年九月号

                 學燈社

日本語の起源 新版 大野晋   岩波新書
 
           


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